太陽とシスコムーンが解散した理由とは?

1月21日放送のTBS『ラヴィット』で『太陽とシスコムーン』の名前が出て話題となりました。

『太陽とシスコムーン』はテレビと東京のオーディション番組『ASAYAN』で選ばれた4人組の女性グループでした。

1999年に結成され、2000年には解散してしています。

たった1年余りで解散してしまった『太陽とシスコムーン』の解散の理由とは何だったのでしょうか?

今回は『太陽とシスコムーン』が解散した理由について調べてみました。

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太陽とシスコムーンの解散理由とは?

太陽とシスコムーンは1998年『ASAYAN』でつんくプロデュース芸能人新ユニットのオーディションが行われ、選ばれた信田美帆さん、稲葉貴子さん、小湊美和さん、RuRuさんの4人で結成されました。

4人はぞれぞれ個別で芸能活動をしていました。

この4人のメンバーの再起をテーマに選ばれました。

信田さんは体操選手としてソウルオリンピックに日本代表とて出場し、引退後は読売ジャイアンツのマスコットキャラクターとして活どうしていました。

稲葉さんは元大阪パフォーマンスドールのフロントメンバーとして活躍し、解散後はタレントとして活動していました。

小湊さんは民謡小湊流の家元として幼いころから民謡歌詞として活動し、当時は2児の母でした。

RuRuさんは1995年から歌手やタレントとして活動していました。

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  1. 月と太陽(1999年4月21日)オリコン4位
  2. ガタメキラ(1999年6月23日)オリコン6位
  3. 宇宙でLa Ta Ta(1999年7月28日)オリコン6位
  4. Everyday Everywhere(1999年8月25日)オリコン23位
  5. Magic of Love(1999年9月29日)オリコン16位
  6. 丸い太陽‐Winnter ver.-(1999年12月8日)オリコン25位
  7. DON’T STOP 恋愛中(2000年4月19日)T&Cボンバー名義 オリコン23位
  8. HEY! 真昼の蜃気楼(2000年7月19日)T&Cボンバー名義 オリコン31位

と約1年半の間に8枚のシングルをリリースしました。

太陽とシスコムーンのが楽曲は現在もハロー!プロジェクトでよくカバーされています。

 

1999年10月にに苦手なダンスの勉強に専念するため小湊美和さんが一時的にメンバーから外されます。

このため、小湊さんは1999年レコード大賞に参加できませんでしたが、次のシングルからメンバ―復帰を果たします。

2000年3月にはユニット名を「最終的には大爆発してほしい」との願いから『T&Cボンバー』に改名しました。

2000年3月の番組内で、2000年10月に解散が決まり、当初の目的であった再起を果たすことができたため今後のソロ活動に向けて発展的な解散であるとつんくさんは説明していたそうです。

2000年10月の大阪で行われたコンサートをもって解散しました。

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まとめ

太陽とシスコムーンは途中T&Cボンバーに改名しながらも、約1年半の短い期間でしたが今でもカバーされるような印象に残る楽曲をリリースしました。

もともと個別で芸能活動していたメンバーが再起するための目的で期間限定で集められたグループだったため、短い活動期間での解散となったようでした。

解散から20年以上たった今でも話題に上がるほどのグループですから、解散がもったいなかったような気もしますね。

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